春の美濃は、見どころいっぱい。
艶やかな花みこしや江戸時代より伝わる山車、
町の若者による仁輪加が見られる「美濃まつり」。
情緒ただよう「うだつの上がる町並み」には、
昔ながらの老舗や若い店主による新しい店が建ち並び、
まちの人たちが温かく迎え入れてくれます。
あなたが知らなかった美濃へ、
この春のんびりと出かけてみませんか。
- 軒をかすめて花みこしが行くと街がパーッと明るくなる。歩く桜並木だ
- 10万枚の美濃和紙を使った花みこしの重量は300キロを超える。20人の男が歯を食いしばって担ぐ
- 全国にも例がない花みこし。秋田の竿頭、青森のねぶたにもひけをとらないと美濃の祭り男たちは意気盛ん
- 花のピンク色の濃淡が町内ごとに違うのも見どころ
- まつり2日目には華麗な山車が曳きまわされる
- 祭り好きの女性も参加
- 美濃の仁輪加は町の若者が中心になって演ずるのが特色。新鮮な時事ネタでどう笑いをとるかに知恵を絞る
- 八幡神社は4月になると桜が満開
花だよりとともにやってくる美濃市の祭りの季節。昼は勇壮華麗な花みこしが「うだつ」の街を練り歩き、夜は江戸時代の大衆芸能の伝統を今に伝える「仁輪加」が街角を湧かせる。
4月の午後。昭和の面影を残す古い街並は、人で埋まっている。早朝から町々を練り歩き、駅前通りに到着した30余基の花みこしが、再び動き始めるのを今か今かと待っている。
花房の陰で体のほてりを鎮めていた男たちが立ち上がる。100人、200人、300人……。半纏(はんてん)にさらし姿の祭男たちが立ち上がる。
「オイサ、オイサ」
「オイサ、オイサ」
通り一杯に広がって、みこしが動き出した。いよいよ美濃まつりのクライマックス、総練りだ。
四ツ辻に近付いた先頭集団の3基が、ゆるやかな弧を描きながらからみ合う。輪舞を踊るようにゆらゆらゆらゆら。みこしとみこしは急接近。担ぎ棒が今にもぶつからんばかりに男たちはもみ合う。
「オイサ、オイサ」
「オイサ、オイサ」
汗にまみれた男たちの野太い声が一段とテンションを上げる。右に左に、前に後ろに。みこしの激しい動きにつれて、和紙の花びらをびっしり付けたシナイもゆさゆさゆさゆさ。ロンドを舞い終えた3基が、意気揚々と辻に去っていく。見物人から沸き上がる歓声と拍手を背に受けて。
美濃まつりは八幡神社の春の例大祭。毎年4月の第2土曜日とその翌日の日曜日に開催される。
美濃まつり
平成19年4月14日(土)・15日(日)
- 変幻自在な仁輪加の柔らかい発想法をまちづくりに生かしたい、と磯部さん
- 小学生の頃から花みこしについて歩いた古田さん。50年以上の年期が入った祭り狂いだ
- 花づくりは各家庭で分担。細長い和紙を手でよってこよりにするのが大変。ピンクの染紙を2枚ずらして重ね、真ん中にこよりを通すとひとつの花ができる
- 花みこし用の紙を染めて25年の双葉紙業。薄くて耐久性のある美濃和紙を特注。四方を染料に浸し工場内に干して乾燥させる
祭りは「花みこし」「山車」「美濃流し仁輪加(にわか)」の三部構成。初日は試楽祭(しがくさい)。朝早くそれぞれの町内を出発した30余基の花みこしは、八幡神社に集結する。ひと練りして神事があった後、神社を出て旧市街を練り歩く。駅前通り(広岡町)で総練りを見せるのは午後1時頃。この後、通りを練りながら各町内へ帰っていく。
夕方からは仁輪加が演じられる。仁輪加は往来で演じられる即興劇。定説はないが、起源は200年ほど前の江戸時代。京都島原などの遊廓で、祭礼の際に風流人や洒落人が通りで演じたひょうきんな寸劇が起こりらしい。美濃へは京・大阪と商いをしていた和紙商人が伝えたという。
日が暮れると、大八車に松の木を立て、赤丸提灯を吊るしたにわか車が各町内を出発。勇壮華麗な花みこしの熱気を、洒脱で風流な夜祭り情緒に塗り変えていく。白塗りの役者たちは、太鼓と笛のお囃子に乗って街を練り歩き、辻々で持ちネタを披露する。町の若者たちが演じる漫才やコントの原型のような素朴な大衆芸能に、見物客は笑い転げる。
2日目の本楽祭は午後から山車と仮装行列などの練りもので賑わう。山車は江戸時代から伝わる県指定重要文化財が6両。見事なからくりや、彫刻が美濃の町衆文化の高さを今に伝える。夕方からは前夜に続き、仁輪加が演じられ、2日間にわたる美濃まつりは幕を閉じる。
美濃まつりは小倉山城の旧城下町17町内に伝わる由緒ある祭礼だ。伝統を今に伝え、後世に残そうと多くの住民が努力を傾けている。
町内が持つ花みこしは大人みこし、子どもみこしを合わせて30余基。祭りの準備は1月から始まる。花になる紙は地元特産の美濃和紙。今は製紙会社からピンクに色染めしたものを購入する町内がほとんどだが、3町内だけは自分たちの手で染める。
美濃花みこし連理事の古田功さん(62)が住む常盤(ときわ)町も昔ながらの手染めにこだわる。まず30万枚の和紙を1枚1枚手で染料に付けていく。乾いたら花づくり。町内95世帯に配付して、各家庭がこよりを使って花にする。出来上がった花は、シナイと呼ばれる竹に取り付ける。あとは祭りの1週間前にみこしの屋根に嵌(は)め込んで完成だ。
「自分たちのみこしがどこよりも立派だと言われたい。慣れないこよりを縒(よ)るのに皆さん夜なべです」
と話す古田さんは、年が明けると気もそぞろ。仕事そっちのけの会社公認の祭り狂いだ。
「祭りのある町に生まれて本当に幸せ。今年もまた祭りができる。美濃の人間はこの日のために生きているんです」
美濃市仁輪加連盟会長の磯部勲さん(64)も筋金入りの祭り狂い。子どもの頃から仁輪加ごっこに夢中になり、青年団に入る年齢になるとさっそく仁輪加デビュー。台本を書き、演出し、役者も務めてきた。おはこはフーテンの寅さん。街角に立って、「わたくし、生まれも育ちも美濃市東市場町」とやると、ワーッと受けた。
磯部さんは今、仁輪加塾の立ち上げを計画中。女性仁輪加、子ども仁輪加、英語仁輪加など、仁輪加の輪をもっと広げたい。
「仁輪加は美濃の誇り。こんなすごいものをよく先人は残してくれたと思います。これからも地域が一つになって、美濃でしかできない仁輪加を育てていきたいですね」