和菓子は日本の四季と文化を写した小宇宙。
長い歴史を持つ老舗の伝統に、
熟練を重ねた職人の技と感性が融合して傑作が生まれる。
芭蕉が足跡を残した長良川沿いの古い街並。川原町通りはかつて岐阜町の玄関口だった川湊を中心に栄えた。その一角にある玉井屋本舗は、明治41年創業の岐阜市指折りの老舗和菓子屋だ。
屋根に乗った木の看板を見上げながら、昔ながらの商家の面影が残った店に入る。観光客らしい数人の若い女性が賑やかに菓子を選んでいる。先客の熟年夫婦が大事そうに紙袋を下げて、炎天の通りへ出て行った。
間口は狭いが、奥行きのある独特の町家づくり。一番奥の工房に入ると、玉井屋を代表する焼き菓子の香ばしい匂いに包まれる。整理が行き届いた明るい室内のあちこちに置かれた作業台。片栗粉にまみれた作業板の上に屈み込んで、何人かの職人が仕事中だ。生地をもみ込んでいる人、伸ばしている人、へらを使って仕上にかかっている人もいる。真剣な眼差し、寡黙と集中。
和菓子にはさまざまな種類があるが、職人の腕の見せどころは、何といっても「練切り」と呼ばれる上生菓子の分野だ。小豆あんや白あんにヤマトイモや求肥などを混ぜて練り上げた「練切りあん」を材料として、竹べらや布巾などを用いながら、手と指の技術を駆使してつくる伝統の和菓子。熟練の職人技とその意匠を考案する高い感性が求められる。
工場長の豊田文男さん(62)は、和菓子をつくって47年。15歳の春から玉井屋で腕を磨いてきた。練切りで難しいのは、ヤマトイモの扱いだ。多すぎることも少なすぎることなく、さりげなく入れて、あんとのハーモニーをどう持たせるか。イモを蒸す時の火加減、その後の練り方にも熟練が必要。
「今はレシピがありますが、ぼくらは先輩の仕事を見て経験と勘だけで覚えてきました」
和菓子は季節の移ろいとともにある。柏餅、水羊羹、栗きんとんなどの季節限定のもの。花や植物などの自然や祭り、伝統芸能など暮らしの風物詩を主題にした和菓子もおなじみだ。
「技術も大事ですが、やっぱり季節をどう表すかですね。秋は秋、春は春をどうつくるか」
和菓子にはつくった人の持ち味が はっきりと出る。大げさに言えば、感性が勝負の「作品」。練切りができるようになれば一人前だが、それまでには3年、4年はかかる。
和菓子つくり47年と書いたが、豊田さんの仕事は、最初の4~5年はほとんどが配達だった。自転車の荷台に和菓子を入れたキリダメという浅い木箱を高く積んで、岐阜市中を走り回った。
初めての和菓子づくりの仕事は、あん炊き。小豆を一晩水に漬け、翌日ガスバーナーで炊く。炊けたらざるに移して水で2~3回澁を切り、仕上の水で炊き上げる。あんは和菓子の命。あん炊きは基本中の基本となる重要な仕事で、徹底的に仕込まれた。
「火加減に苦労しましたが、初めて職人らしい仕事がやれてうれしかったですね」
最近、中学校や高校から、授業で和菓子づくりの実習指導を頼まれる。思い思いの形にでき上がった練切りを見せて得意げな生徒たちの無邪気な表情を見ると、自分の顔もほころんでくる。授業の評判がいいのもうれしい。
キリダメを山のように積んで、雨の日も雪の日も自転 車をこいで町へ出たのは、こんな歳の頃だった。豊田さんは半世紀昔を思い出して、ちょっと感慨にふけってみる。
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- 和菓子をつくって47年の豊田さん。あん炊きからスタートして腕を磨き続けてきた。「今は若い人についていくだけ」と謙遜するが、あんを手にすると眼鏡の奥の優しい目が一気に鋭くなる
- 香ばしく焼かれた生地に求肥を包んでいく。
- 最後に焼き印を押して「登り鮎」が完成
- 春には春の予感を。秋には秋の思いを。和菓子のテーマは季節感の表現。秋色に染まった練切りは食べるのが惜しいほど美しい
【練切りのできるまで】
- ①練切りあんの材料となるヤマトイモ。炊く時の火加減が難しい
- ②外あんとなる練切りあんで、丁寧に中あんを包み込む
- ③道具を使って周囲に花びらの形をつけていく
- ④最後に花びらの中心に花心を載せて出来上がり
玉井屋本舗
- 所在地:岐阜市湊町42
- 電 話:058-262-0276