シャンソン歌手 遠藤伸子さん

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シャンソン歌手 遠藤伸子さん

「歌っていると母に会えるの」
夢のカーネギーホール公演を実現

開演直前。幕の向こうに観客のざわめきが聞こえる。ステージの端に小さな写真立てを置いてから、スポットライトの下へ歩き出す。「お母さんも一緒に歌おうね」。心の中でそっと呼びかけて、幕が上がるのを待つ。

シャンソン歌手としてデビューしたのは47歳。3人の子どもを育て上げ、人生に新しい夢が欲しかった。名古屋のピアニスト加藤修滋氏に師事、歌の才能が一気に開花した。各地でコンサートやリサイタルを開き、フランス、アメリカ、中国でも歌う。美輪明宏、菅原洋一らとも共演。

子供の頃から歌が大好き。小学5年生の時、子どものど自慢で優勝をした。父は戦死して顔も知らない。母1人、子1人で育つ。母には天賦の歌の才能があった。周囲の反対で声楽家になる夢をあきらめ、教師になって娘を育てた。子守唄は『宵待草(よいまちぐさ)』や『出船』、最後はいつも『愛の讃歌』だった。歌いながら子を抱きしめ「歌い手の晴れ舞台はニューヨークのカーネギーホールやよ」と語りかけた。

11歳の時、無理を重ねてきた母が病死。亡くなる1週間前に貰った別れの手紙を読んで、何日も泣き通す。高校を卒業後、銀行に就職、20歳で結婚。母ほどの才能はないと思ったが、いつも歌は忘れなかった。子育ての暇を見て、合唱団に参加したり、プロのレッスンを受けたり。

デビューして以来、ずっと頭を離れなかったのは、カーネギーホールで歌う夢を語った母の言葉。母の夢が乗り移ったようであった。8年目の2000年3月、遂にニューヨークのカーネギーホールでリサイタルを開く。ジャズシンガーの娘も参加、司会は娘婿というファミリーコンサート。最前列の席に母の遺影を置く。合間に母の思い出を語ると、300席を埋めた観客は、ハンカチを目に当てた。

歌手活動と併行して、夢実現の恩返しにボランティアライブも。福祉施設、病院、学校などで歌った回数は、180回に迫る。歌いながら必ず母の思い出を語る。「ステージに立つと、母がそこにいるんです」

子供の頃から美空ひばりが好き。好きな歌のひとつに『越後獅子の歌』。「わたしゃ孤児(みなしご)街道ぐらし」の一節に胸を突かれる。しかし、歌とともにある遠藤さんが、独りぼっちであったことは一度もない。

Photo

―人生を支える宝もの―

小学生の頃、長良川の河原で撮った母との思い出の写真。

小学生の頃、長良川の河原で撮った母との思い出の写真。肌身放さず持っているので、写真立てには修理の跡がいっぱい

Profile

遠藤伸子 えんどうのぶこ

シャンソン歌手、岐阜市出身。岐阜高校卒業後、十六銀行勤務。’91年加藤修滋氏主宰の「カフェ・コンセール・エルム」(名古屋)でデビュー。東海地方を中心に活躍。フランス、アメリカ、中国でも公演。’00年ニューヨーク・カーネギーホールでリサイタル。『花子のバラード』『生きる』などオリジナル曲11曲。

[ブログ]http://ameblo.jp/endo/

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