伊奈波通りから少し北に入ると、昼時、客足の絶えない十割そばの名店がある。昭和55年創業。明治6年から続く飲食店の3代目で『日本料理ひら井』の創業者、故平井照二さんが始めた『吉照庵』だ。
つなぎの小麦粉を使わない十割そばは、そばの実の風味が醍醐味。だが繊細で生地が切れやすく、そば打ちには高い技術と鋭敏な神経を要する。そば専門店でさえも全国で数軒だった頃、究極で粋なそばを出す稀有な存在として、この店の歴史が始まった。
「歴史は自分で創るもんや。100年経てば歴史になる、と先代は言ってましたね」。4代目の良樹さんは父親のことを静かに語る。ストイックだが大胆で茶目っ気がある先代。そば屋の開業にあたっては全国の麺処を訪ね「右から左まで」とそばの品をすべて注文。小麦粉2割、そば粉8割の二八そばを打っていた頃。十割ではないことをバカにされ、カチンときた。誰にも教わらずに日夜研究し、独自の手打ちを確立したという。
良樹さんが店を継いで7年。「先代が命をかけたそばは“お宝”。そばが好きでよく食べますが、うちのが一番美味しい」と笑う。福井産のそばを石臼でできるだけ粗く挽き、水は長良川の伏流水を使用。香り高くコシのあるそばにまろやかなつゆが絡むと、風味は何層にも広がる。そしてのど越しの良さ。「少しでも気になることがあると材料の配合を数%単位で変えます」。“お宝”を守り、進化を求める良樹さん。料理長の大塚さんとともに、感覚を研ぎ澄ませ、最高のあり方を突き詰めてそばと向き合う日々だ。
「亡くなる間際に先代がつぶやいたんです。最終的には二八がいいのか、十がいいのか分からんなぁって。最高のものって何でしょうね。迷いながら偶然答えが見つかったら、ラッキーなのかなぁ」。一直線に物事を追求する『吉照庵』の神髄。これからも胸に情熱を抱き、少しずつ、確実に店の歴史は紡がれていく。
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- 表面の粒は、粗く挽いた風味豊かなそばの実。繊細で変化が早いため、食べ始めの10分が勝負。天ぷらせいろ 小海老・二段/¥1,450
- 中央右の良樹さんを中心に、調理場とフロアのスタッフが力を合わせて暖簾を守る
- この店のそばは素材が命。秋に収穫したそばの実を摂氏7度の低温で保存し、毎朝使う分だけ挽く
- 腰を入れ、切れないように優しく打つ。料理長の大塚さんは先代の頃から約20年間、そばを打ち続ける
- そばメニューのほか、一品料理も充実。蕎麦がきと松茸陶板焼き/¥850、茄子そば味噌田楽/¥500
- ジャズが流れる店内。昼時は次から次へと客が入れ替わる。さっと来てさっと食べて帰る常連客も多い
伝承 美濃そば吉照庵 [きっしょうあん]
- 岐阜市米屋町25
- TEL.058-265-3608
- 営業時間◇11:00~15:00、17:00~20:00
- 定休日◇月曜日(祝日の場合は翌日)
- 駐車場◇あり
- http://www.kissyo-an.com/